2008年12月アーカイブ
パンラヤーがVCDを買って来たので一緒に見ていたら、なぜか日本の映画(ドラマ?)の吹き替えでした。
日本人がタイ語を喋ってる・・・。何か変な感じです。
同じタイ語なのに、日本の映画で登場人物も日本人、となるとタイ語が理解しやすい(ストーリーが理解しやすい?)ことに気づきました。
これは文化とか背景だとかがあらかじめ把握しているので、登場人物の台詞も予想できることが大きな原因かもしれません。タイ語を勉強しようとしている人はもしかしたら日本の映画のタイ語吹き替えを買うと良いかも、とちょっと思いました。
で本題ですが、登場人物の2人の女の子が言い争ってる場面で1人の子が次のようなセリフを言っていました。
「อย่ามายุ่งกับฉันนะ(ヤー マー ユン ガップ チャン ナ!)」
「อย่า(ヤー)」・・・~するな
「มา(マー)」・・・?
「ยุ่ง(ユン)」・・・関わる、干渉する
「กับ(ガップ)」・・・~と、~について
「ฉัน(チャン)」・・・私
「นะ(ナ)」・・・~ね(文末につけて語調を整える)
VCDなので、日本語で何と言っているのか本当のところはわかりませんが、状況から考えてこの場面で言うセリフは
「(私のことは)放って置いて!」か「(私に)かまわないで!」のどちらかだと思います。
意味はわかるのですが、問題は「มา(マー)」です。
「มา(マー)」は通常、「来る」と訳しますが、タイ語の「ไป(パィ)」や「มา(マー)」は日本語の「行く」、「来る」よりも広い意味を持っていて、タイ語の会話に頻繁に登場します。
しかも、日本語に訳しにくい場合が多いのです。
この映画のセリフの場合も私は聞いていて「うーん、日本語に訳しにくいなぁ」と思ってしまいました。
この場合日本語的に考えると「มา(マー)」は無くても良いのです。
「อย่ายุ่งกับฉันนะ(ヤー ユン ガップ チャン ナ!)」
これだけで「私にかまわないで!」という意味になります。
実際にこれで十分タイ人にも通用するのですが、タイのドラマを見ていると「มา(マー)」を入れて1フレーズになっていることが多いです。特にタイのドラマは女の子が四六時中怒っているシーンばかりなので、この手のセリフが頻出します。
タイ語で「ไป(パィ)」や「มา(マー)」の意味するところは、「時間的、空間的に”向かって行く”」または「時間的、空間的に”向かって来る”」というなんともわかりにくい使い方をすることがあります。
この「放って置いて!」の場合は、個人的な想像では「”空間的”にあなたの方から私の方に向かって来る」というイメージを含んでいるのだと推測します。
そして語順は「มา(マー)」+ 「ยุ่ง(ユン)」です。
「ยุ่ง(ユン)」+「มา(マー)」は不可です。
タイ語では2つ以上の動詞をつなげるときは、”動作が発生する順番に動詞を繋げる”という原則があるので、この場合は
「”空間的”にあなたの方から私の方に向かって来て(マー)」、「関わる(ユン)」
という感じになるのでしょうか。
いずれにせよこの「パィ」と「マー」という単語は日本語の文章を考えてからタイ語に直すときに、単純な「行く」「来る」の意味の範囲を超えた使い方をする場合にはなかなか思いつかないです。
「俺のことは放って置いてくれ!」と日本語で思いついてそれをタイ語にするとしたら
「ヤー ユン ガップ ポム!」と言ってしまうかもしれません。
単純に「行く」「来る」では済まない「パィ」と「マー」の話でした。
日本人がタイ語を喋ってる・・・。何か変な感じです。
同じタイ語なのに、日本の映画で登場人物も日本人、となるとタイ語が理解しやすい(ストーリーが理解しやすい?)ことに気づきました。
これは文化とか背景だとかがあらかじめ把握しているので、登場人物の台詞も予想できることが大きな原因かもしれません。タイ語を勉強しようとしている人はもしかしたら日本の映画のタイ語吹き替えを買うと良いかも、とちょっと思いました。
で本題ですが、登場人物の2人の女の子が言い争ってる場面で1人の子が次のようなセリフを言っていました。
「อย่ามายุ่งกับฉันนะ(ヤー マー ユン ガップ チャン ナ!)」
「อย่า(ヤー)」・・・~するな
「มา(マー)」・・・?
「ยุ่ง(ユン)」・・・関わる、干渉する
「กับ(ガップ)」・・・~と、~について
「ฉัน(チャン)」・・・私
「นะ(ナ)」・・・~ね(文末につけて語調を整える)
VCDなので、日本語で何と言っているのか本当のところはわかりませんが、状況から考えてこの場面で言うセリフは
「(私のことは)放って置いて!」か「(私に)かまわないで!」のどちらかだと思います。
意味はわかるのですが、問題は「มา(マー)」です。
「มา(マー)」は通常、「来る」と訳しますが、タイ語の「ไป(パィ)」や「มา(マー)」は日本語の「行く」、「来る」よりも広い意味を持っていて、タイ語の会話に頻繁に登場します。
しかも、日本語に訳しにくい場合が多いのです。
この映画のセリフの場合も私は聞いていて「うーん、日本語に訳しにくいなぁ」と思ってしまいました。
この場合日本語的に考えると「มา(マー)」は無くても良いのです。
「อย่ายุ่งกับฉันนะ(ヤー ユン ガップ チャン ナ!)」
これだけで「私にかまわないで!」という意味になります。
実際にこれで十分タイ人にも通用するのですが、タイのドラマを見ていると「มา(マー)」を入れて1フレーズになっていることが多いです。特にタイのドラマは女の子が四六時中怒っているシーンばかりなので、この手のセリフが頻出します。
タイ語で「ไป(パィ)」や「มา(マー)」の意味するところは、「時間的、空間的に”向かって行く”」または「時間的、空間的に”向かって来る”」というなんともわかりにくい使い方をすることがあります。
この「放って置いて!」の場合は、個人的な想像では「”空間的”にあなたの方から私の方に向かって来る」というイメージを含んでいるのだと推測します。
そして語順は「มา(マー)」+ 「ยุ่ง(ユン)」です。
「ยุ่ง(ユン)」+「มา(マー)」は不可です。
タイ語では2つ以上の動詞をつなげるときは、”動作が発生する順番に動詞を繋げる”という原則があるので、この場合は
「”空間的”にあなたの方から私の方に向かって来て(マー)」、「関わる(ユン)」
という感じになるのでしょうか。
いずれにせよこの「パィ」と「マー」という単語は日本語の文章を考えてからタイ語に直すときに、単純な「行く」「来る」の意味の範囲を超えた使い方をする場合にはなかなか思いつかないです。
「俺のことは放って置いてくれ!」と日本語で思いついてそれをタイ語にするとしたら
「ヤー ユン ガップ ポム!」と言ってしまうかもしれません。
単純に「行く」「来る」では済まない「パィ」と「マー」の話でした。
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コンビニで買ったインディージョーンズ最新作のVCD(99バーツ)が面白かったので、買い物で寄ったカルフール(タイ語の発音ではカーフー)でインディジョーンズ初期三部作のVCDを見つけてついつい購入してしまいました。
タイのVCDは洋画だろうが、容赦なくタイ語吹き替えです。
で、第2部を見ていたら、インディージョーンズがヒロインの衣装を褒めて次のように発言していました。
「ดูคุณสวยจังเลย(ドゥー クン スァィ ジャン ルーィ)」・・・「君はとても綺麗だ(綺麗に見える)」
「ดู(ドゥー)」・・・見る、~に見える
「คุณ(クン)」・・・君
「สวย(スァィ)」・・・綺麗だ
「จังเลย(ジャンルーィ)」・・・とっても、非常に
日本語で「君はとっても綺麗だね」を思いついたら、それをタイ語に直すとしたら、私なら簡単に
「スァィ ジャンルーイ」
と済ませてしまいます。
使い慣れないのでなかなかこの「ดู(ドゥー)」の構文が思いつきません。
普通「ดู(ドゥー)」は「見る」の意味で良くつかわれますが、英語の「look」と同じく「~の様に見える」の意味も持っています。
「You look so beautiful」・・・「君はとても綺麗だ」
意味は英語と同じ「ดู(ドゥー)」ですが、「君(คุณ:クン)」の位置に注意が必要です。
「ดู คุณ สวย(ドゥー クン スァィ)」・・・~のように見える、 君が、 綺麗に
の語順です。
日本語からはこの語順がなかなか思いつかなくて、英語とも語順が違うので覚えるのに苦労する「ดู(ドゥー)」です。
あるいは
「君を見たら(ドゥークン)、とても綺麗だった(スァィ ジャン ルーィ)」
と覚えてしまうと良いかもしれません。
タイリンは基本的に語学が苦手なので、語順が重要なタイ語には時々悩まされます。
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タイの屋台が大好きなタイリン。
屋台で飯を頼むと飲料水なんだか水道水なんだかわからない水が出されますが、これは基本的に飲まないことにしています。
従って飲み物もついでに注文することになるんですが、タイリンの場合は大抵がコーラです。
「เอาโค้กด้วยนะครับ(アォ コーク ドゥァィ ナ クラップ)」・・・(コーラも一緒にね)
すると「メイヨー」・・・じゃなかった「無い!」と言われることがあります。
「ไม่มีโค้กค่ะ(マィ ミー コーク カー)」・・・(コーラ無いんです)
「何!コーラが無い!そーか、それは困った・・・・じゃなくて、あそこの客が飲んでるのはコーラじゃないのか!?」
・・・と思ってると、続けて答えが返ってきます。
「มีแต่เป๊ปซี่(ミー テ ペプシー)」・・・(あるのはペプシコーラだけなのよ。)
・・・いや、コカコーラでもペプシコーラでも何でもいーよ。
日本人的な発想ではコカコーラだろうが、ペプシコーラだろうが、所詮コーラはコーラです。
でも、タイではコカコーラとペプシコーラは厳密に区別されていて、まったく別の種類の飲み物に分類されちゃっているのです。
本当に味の違いがわかるのかタイ人?
タイリンは細かい味にこだわらないので、コカコーラでもペプシでも目をつぶっって飲んだらどっちがどっちか区別できないでしょう。
世界的なシェアでいえば当然コカコーラが高いシェアを誇るのですが(米国も日本もコカコーラの方が上)、部分的にみると特定の国ではペプシがコカコーラより高いシェアを確保しているエリアもあります。ここタイもその1つ。
大抵の店ではペプシが欲しいといって、「無い」と言われることは少ないですが
コカコーラが欲しいというと「無い」と言われることも多々あります。
個人的にはコカだろうがペプシだろうがどっちでもいいので、コカコーラが「無い」と言われて以降、タイリンは常にお店でコーらを飲みたいときは
「コーラちょうだい」の意味で
「เอาเป๊ปซี่ครับ(アォ ペプシー クラップ)」・・・・(ペプシ下さい)
と言うようにしてます。「無い」と言われる確率がグンと減りました。
でも今回のお話はそうじゃなくて、気になったタイ語の語順の話です。
仮にコーラを注文して、ない時にこんな答えが返ってくることがあります。
「เอาโค้กนะครับ(アォ コーク ナ クラップ)」・・・(コーラください)
「โค้กไม่มีค่ะ มีแต่เป๊ปซี่(コーク マィ ミー カー、ミー テ ペプシー)」
「コーク マィ ミー」
コーラ、無い
日本語的に直すと全然おかしくないのですが、通常のタイ語の語順で言うと
「マィ ミー コーク」
無い、コーラ
これが基本的な語順です。
日本語でいえば
「コーラは無いんです」
が普通の順序とすれば
「無いんです、コーラ」
的な語順が「コーク マィ ミー」に相当するのかもしれません。
タイ語には動詞の活用もないし、助詞もないので単語の語順が大事なってきます。
ただし「無いんです、コーラ」的な文章程度の語順はマィペンライのようです。
でもコカコーラとペプシコーラの区別にはこだわるけど。
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王様の誕生日(5日)を前に両空港がPADによる占領から解放されて「一応の」平穏な日常を取り戻しました。
「日本人」という外国人の目からみると何とも解決したのかしてないのかよくわからない騒動でしたが、8日の国会で新首相が現与党から選出される見通し(当たり前ですが)であることから、今後も火種は炎上する可能性が高いと言えます。
今回の空港占拠による損失は数千億バーツと言われていますが、それ以上に国益を損なった損失は大きいと思われます。空港が占拠されるという非常に事態に関わらず、静観する軍部、警察。なぜかスピード判決で首相の失職を命じる裁判所。
三権分立の原則などどこ吹く風で、それぞれの思惑で勝手に動きを取る権力層。
民主主義の看板を掲げつつ選挙で当選した与党を認めないPADとそれを操る裕福層。
日当と食事を保証されて嬉々として参加してしまうPAD参加者。
「本当にそれでいいの?」とタイ人に聞いてみたくなる今日この頃です。
私はタイの歴史にはそれほど明るくないですが、現状のタイ人、日頃接するタイ人を見ていると、PADや今回の騒動を唯々諾々として受け入れてしまう素地はタイ人の気質にあると思っています。
タイ人の気質は「他力本願」「寄らば大樹の陰」です。
また、タクシン元首相を始め権力者がその地位を利用して私腹を肥やしたと言われていますが、それは一般のタイ人も同じことです。タイ人は権力を求め、手にれた権力はお金に変えようとします。
政治家に限らずとも、一般企業の会計であろうと購買部の係長であろうと、その時の地位を利用してリベートを受け取る画策をしたり賄賂を受け取ろうとするのはごく普通タイ人にっとってごく普通の感覚です。
従って「より権力の有る人間」に弱く、「権力のない人間」に強い態度を取る素地は上層部だけに見られる特徴ではなく、一般的なタイ人の中に強く根づいています。いったん手に入れた権力を手放すのは甘い汁を吸える機会を放棄するに等しく、大なり小なりタイ人は権力に固執します。
結果として、警察は警察、軍部は軍部、自らの地位を保障してくれる組織の上層部の思惑にしか従わず、「他人は他人、自分は自分」といったアイデンティティを推し進めた末が、今回のような滑稽な騒動に繋がったのだと個人的に考えています。
「多数派の意見を受け入れる」という民主主義の原則を認めず、「衆愚の意見など聞く必要はない」などと主張するPAD幹部の本当の思惑はわかりませんが、今回のような無茶な事態を受けれてしまう素地はタイ人自身に帰すると思います。
タイ国の繁栄も栄光も没落も嘲笑もすべてタイ人のものです。
「事なかれ主義」がうまく働く場合もありますが、今回のような事態にはまるで機能しないことが明らかになりました。
タイ人自身がそれで良いのなら外国人が口を出すことではありませんが「本当にそれで良いの」とタイ好きな一外国人としてちょっと残念な気持ちと今後に期待したい気持ちが入り乱れています。
奇しくも明日の国王誕生日を控え、体調不良を原因に国王陛下の演説が中止になったようです。
1年に1度のこの演説を中止せざるをえないほど体調が悪いということになれば、国民の心の支えである王様が世代交代する時期に来ているのかも知れません。
王様の誕生日は「父の日」でもあります。
子供である国民には”親離れ”の時期が近付いているのかもしれません。
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ドンムァンとスワンナプームの2空港が解放されることになったようで、一応平穏な日常(?)に戻ることが決定したようです。
しかし、傍から見ているといかにもタイらしいなんともすっきりしない結末ですね。
たぶん、日本にいる人はニュースだけみていると何がなんだかさっぱりわからないんじゃないでしょうか。
PAD(反政府派)の言い分は「裁判所の命令で首相、幹部は失職になった。だから空港は解放する」とのこと。
なぜか裁判所がPADを助けるように当初の予定を早めて異例のスピード判決。
今回の騒動は、民衆(特に貧困層)に強い支持基盤を持つタクシン派と、タクシン氏の登場で利権を奪われた裕福層、エリート層、軍部の対立だと言われています。エリートが基盤の法曹界は反タクシン派に含まれるそうで、今回のスピード判決は最初から決まっていたのだと思われます。
なぜなら12月5日は王様の誕生日。タイ人にとって1年で一番重要な日です。
王様の誕生日を空港占拠したままで迎えるなど国民が許しません。
PADも最初から王様の誕生日を念頭において少し日程の余裕をもって空港を占拠し、「首相が辞任するまで運動は辞めない。解散総選挙はダメ」との声明を発表しています。解散総選挙を認めない理由は、総選挙をされてしまうと民衆に人気のあるタクシン派が再び勝ってしまう可能性が高いから。
結果的に”偶然にも”裁判所(法曹界)から首相の失職判決が出て、"要求が通って面目を保った”PADは王様の誕生日前に空港を解放することができました。めでたしめでたし。
PADとしても最初から王様の誕生日前に撤収するつもりだったので、"偶然にも"裁判所からスピード判決が出ることを”なぜか”予想できたのでしょう。実に不思議な話です。
で、8日~9日の国会で新首相が選ばれるそうですが、PADの声明では「当初の要求通り首相が失職したので活動を停止した。ただし、新首相が連立6党の中から選ばれれば活動を再開する」そうです。
あんぐり。何を言っているのか外国人にはさっぱりわからないかもしれません。
だれがどう考えても連立6党の中から新首相が選ばれないわけがない。野党から首相選んだら法案が1つも通らないだろうに。
これはつまりこう言っているのと同じです。
「最初から活動を停止するつもりはない。でも、王様の誕生日は平穏に過ごしたい。国民からブーイングが来るのも避けたい。従って、王様の誕生日前に活動を一時停止するけど、新首相が選ばれたらまた活動を再開するから」
自分の国のことだからタイ人がそれで良いなら別に良いのですが、空港を閉鎖するのは話が別です。タイ人が迷惑をかける相手はタイ人だけにして欲しいぞ。
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